その ①:『 不恥下問 』 より  孔子 (論語 巻第三,公冶長 第五の十五)2017年09月15日

不恥下問とはどういう内容の事柄でしょうか。 聞き慣れない言葉ですが、中国の古典である「論語」の中に出てくる問答の一つの例として取り上げたものです。私見による簡単な説明を書いてみます。

『弟子の子貢が先生(孔子)にお尋ねした。弘文子はどうして文というおくり名なのですか? 先生は答えられた。利発な上に学問好きで、そのうえ目下のものに対しても 問い質すことを決して恥じることが無かったからです。だから文というおくり名なのです、と応答された。』

この対話の中にこそ、年齢や地位にとらわれず、人としての接し方が凝縮されているように思います。筆者がこの言葉を何よりもまず最初に取り上げる理由はそこにあると信じているからです。
 
続いて、この言葉が異なる周囲の状況下において、結果や働きが異なることがある、という状況を考えてみます。
さて、誰かが「下問する」という行動や働きかけをした場合、どんな事柄が待ち受けているでしょうか。おそらく、「不恥下問という行動」がどんな状況の時でも成り立つためには、人の心の持ち様がいかに冷静で、沈着で、安定でしかも優れていなければならないか、という点に気付かされます。人がなす行動は心の内が必ず外部に表れてくるものであり、一瞬の働きかけが災いともなり得ます。盤石な態勢で対話することは至難の業のように思えます。

次に、どのような有益な語録であっても、実践にあたっては 何よりも語録を読み解くことが肝要です。生涯の悟り、ひらめき、真実の知恵、力強い実践・行動力は、体験と精神とが凝結した片言隻句に宿ると、昔から言われています。何度も何度も彫刻刀で彫り刻むように読み進み、ことの顚末に至れば得られた貴重な語録を心の襞に焼き付けておくことが寛容でしょう。そのためには、読者の方には経験があるでしょうが、只管筆写することが一番いいようです。

ここで、上述したことについて、私の得た経験の一例を記しておきます。
流体力学の世界的権威 故谷一郎東大名誉教授は、常日頃から実践されていた事柄があります。それは谷教授の終生の研究作業を通じて、実践され続けられました。人の名前、論文の制作年次、研究内容をきちんと頭の中の引き出しに分類して整理することを徹底されていました。写経のように、事実をノートに心穏やかにして書き留めることが何よりの他研究者への敬意を払うことである、と常日頃話をされ、教訓として指導されていました。人より優れた行動を保ちながら、実践していくことの大変さや大切さは、尋常ではないことが理解できるでしょう。世界に向けて常に目を見開き、弟子たちに対しても自分から実践することで、先頭を歩いてこられました。
なお、谷先生は揮毫を求められると、「尚粗」とお書きになっていました。
「尚粗」については、またの機会に話題として取り上げましょう。
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