5.仕事をこなすには (その2・続き)2018年01月16日
◇4.4 手本(流儀)を学ぶ
(1)本を読み、師を選る (歴史を直感し、哲学を築く)
人の師たる人はどんな形で巡り合うのであろうか。師とは教え希う存在であるので、そう簡単に出くわすことは考えられない。つまり、人は、いつ、どこで、何歳ごろ、誰と巡り合うか、が決定的なものを生み出すことになる。過去の歴史においても、多くの人が出合い、学び、教えを請い、巣立っていった。私の身の回りにも、そう多くはないが、師と弟子との関係を保ち、互いに精進しながら、互いに影響を及ぼし、さらに発展している人を知っている。
本を読むことだけでも、師を選ぶことになるが、大きい飛躍が期待できない場合もある。したがって、順序だてて、きちんとした方法論を利用して、自分に合った学びの中から進めていくのが大切であろう。
弟子は先生を選べるが、先生は弟子を選べない。
(2)仕事の進め方を初めから終わりまで、正確に学ぶ
(勝手な手法では高いレベルに到達できない)
何事も、教えを乞う場合、最も重要な事柄は、基本動作から高いレベルの学問に至るまで、一通りの学問の仕方(学び方)を正確に学び取らなければならない。自分勝手に真似事が出来たということで終了するのはまずい。
基本を、謦咳に触れながら学び取ることが大切である。
師の息遣いを感じながら、情熱の持ち方、学問の深さ、ひととしての思慮深さ、などきりがないほどのことを学び取らねばならない。
◇4.5 過去の歴史に学ぶ ( いくつかの道筋 )
(1)衣鉢を継ぐ
三衣と一鉢(僧侶の所持品):生活していく最低限のもののみを携帯する。
師僧からの仏教の奥義:教の原点(考え方を教え伝える)
徒然草 (全訳注)吉田兼好 講談社学術文庫 僧侶の生活全般
日くらし、心にうつりゆくという言葉は、むしろ禅的なものより人間的な感情を揺り起こすようである。
(2)彰往考来
徳川斉昭:水戸弘道館(大日本史)
孔子 論語 巻第四 述而第七 六 「游於芸」:教養の中に遊ぶ
往きたるを彰かにし、来るを考える
藤田東湖
(3)幾多の名著 ――机の周りで手が届くものばかり――
〇 広辞苑 ( 第七版 ) 新村 出 編 、岩波書店 2018.1.12
10年ぶりに出版、素晴らしい出来栄えに感動。早速、近所の本屋さんで注文をして、発行日に購入できた。今回は、『広辞苑をつくるひと』 三浦しをん、著(非売品)が付録として入手できた。
やはり、文章を書くことが仕事である者にとって、基本の用語を正しく用いることは何にもまして大切なことである。そのために、机上には細心の詳細な辞書が欲しいものである。
辞書用語の説明が、「けんとう【検討】調べたずねること。詳しく調べ当否を考えること。」を例に取り説明がなされている。さらに、見出し語、語釈、用例などが持つ意味を説明されている。さらに、24万語の見出し語が収録され、圧巻である。今回は前回に比べ1000語増加している。
〇 幸田露伴 ( 努力論 )惜福の説――幸福三説第一、53頁~、岩波文庫
惜福とはどういうのかというと、福を使い尽し取り尽してしまわぬをいうと書いてある。たとえば浪費に使い尽くして半文銭もなきにいたるがごときは惜福の工夫のないものである。
樹の実でも花でも、十二分に花咲かすときは、収穫も多く美観でもあるに相違ない。しかし、それは福を惜しまぬのである。花実を十二分ならしむれば樹は疲れてしまう。七、八分ならしむれば花も大いに実も豊かにできて、そして樹も疲れぬゆえ、来年も花が咲き実がなるのである。
「幸運は七度人を訪う」という諺について。
いかなる人物でも周囲の事情がその人を幸いにすることに際会することはあるものである。その時に当って幸運の調子に乗ってしまわず、控えめにして自ら抑制するのが惜福である。自己の福を取り尽さぬのである。
努力論の中身は極めて深く、かつ広いため、例として説明されているものを正しく読み込まないと、うっかり間違った解釈を取ることもありそうである。注意して読み込みたい。
〇 幸田露伴 ( 一国の首都 ) 岩波書店
露伴が一国の首都論を書くに至った理由は定かではない。とにかく鋭い感覚で、素晴らしい知識を披露し、並外れた教養で書き綴った物の中から、興味深い内容を少し拾い起してみよう。露伴の特徴である、話の内容を細目の形でストーリーを前もって紹介するのを利用して考えてみる。
首都とは何か、に関係する内容を5つばかり掘り出すと、順序不同で以下のように選ぶことが出来そうである。首都の全国に及ぼす影響、江戸と東京、首都に対する個人の位置、時代の理想、都の教育機関などである。一つ一つの内容が広く、深く考えなければ簡単には答えは見つからない。これに対し、露伴は一国の首都は例えば一人の頭部のごとしと対応付けているのはさすがである。まさに、恐れ入る解釈である。
また、首都は一国の運命がかかる所として、国民の富力、徳力、智力の充実が不足するようでは務まらないと説いている。わが東京をいかなる種類の、いかなる程度の都会足らしめん事を期すべきか。一国の首都の必具の条件として、政務機関の位置、状態を如何におくべきか、交通機関は如何にありや、教育機関はどうすべく配するべきか、熟慮して、精儀すべき価値あり。情熱、知識、構想、先見の明があってこそ、都市文明論として輝かしい業績であろう。世界の都市工学の専門家はこの本を一度は読まれたことがあるだろうか。
研究課題はいくつでも掘り起こせる。
〇 世阿弥 ( 九位 ) 世阿弥芸術論集 163頁 新潮社版
九位習道の次第 ―― 能の練習手順
中初、上中、下後といえば、芸能の初門
以下の数字を順序良く、練習としてこなすことが肝要である。
6浅文風 5広精風 4正花風
3閑花風 2寵深花風 1妙花風
7強細風 8強鼠風 9鼠鉛風
幽玄の花風 (名手の演じる幽玄の芸能、心行、つまり思慮の働きも及ばない境地)
二曲三体の位(芸(二曲)の彩を見せるという趣旨、常の道を基本である二曲にあて、道の道たるを三体の物まねに充てる)
働きの位 (禅家の機略が発動する際の強く激しい勢い)
まさに、きちんとした手解きを受けるには、それ相当の覚悟を以って修行に入門する必要があろう。
〇 本居宣長 ( うひ山ぶみ ) 全訳注、白石良夫、53頁 講談社学術文庫
【怠りてつとめざれば功はなし】
詮ずるところ学問は、ただ年月長く倦まずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要にて、学びようは、いかやうにてもよかるべく、さのみかかはるまじきこと也。いかほど学び方よくても、怠りてつとめざれば功はなし。
留まるところ、倦まずたゆまず努力をすることこそ、凡人の生きる道が開かれるであろう。
また、人々の才と不才とによりて、その功いたく異なれども、才、不才は生まれつきたることなれば、力に及び難し。
また晩学の人も、つとめはげめば、思いのほか、功をなすことあり。また、暇のなき人も、思いのほか、暇多き人よりも功をなすもの也。
例)晩学の人
本居宣長(町医者の資格を京都で習う)専門は国学
伊能忠敬(20歳以上年下の天文方の先生につき、天体と地形図などを学ぶ)商家で商いし、家計の立て直し
されば、才のともしき、学ぶことの遅きや、暇の無きやによりて、思いくずをれてやむることなかれ。とてもかくても、つとめだにすればできるものと心得べし。すべて思いくずをるるは、学問におおきにきらふ事ぞかし。
ただし、志を高く、大きく立てることが大切である。(宣長の考え)
〇 寺田寅彦 ( 天災と国防 )、地震雑感 57頁
【天災は忘れた頃にやってくる】
地震の研究方法(震源、原因、予報)―― 関東大震災を手本に
地震の概念は人により異なるので、研究方法論をきちんと確立してから、考えることが大切であると説く
1)純統計的研究方法 :一つの地震と強度の分類
2)地震計測方法 :記録方法の確立とその機械の開発研究
3)地震学上の現象 :地層の構成
4)物理学者のみた地震:多方面の専門家との議論
対象の正しいモデルを作るのに欠かせない必須の視点 6つある。
1)構成要素(観察対象がどんな構成要素か)
2)マイクロメカニズム(観察対象の動作の要因)
3)マクロメカニズム(構成要素がどのような関連で、どんな支配法則によって動いているか。
4)全体像 (外から見た時、全体としてどのように見えるか、専門家の話は全体像を見る視点が欠けている)
5)定量化(対象や現象を量的に捉える視点
6)時間軸(すべての事柄や事象は不変ではなく、必ず時間とともに変化している)
自然現象は決定論的(一意に決定)か統計的か(確率過程)
およそ学問は正しい筋道を、師の教えに従い、私心を入れることなく、ゆっくりとまっすぐ進むべきなり。
〇 蔵本由紀 (非線形科学――同期する世界) 集英社新書
森羅万象を形作る法則(非線形現象)は、現象や解くべき方程式が簡単そうに見えても、一筋縄では解決の糸口を探し出すことが極めて困難。
同期現象は、「全体が部分の総和として理解できない」いわゆる非線形現象の典型である。これに対し、全体が部分の総和として理解できるのは線形現象である。
1) 5感で感知する空間および時間尺度のマクロな世界構造の崩壊、維持は物理学ではどのようになされるのか。また、様々な形のエネルギーは互いに形を変えるが総和は一定である。これは良く知られているエネルギー保存則と呼ばれるものである。また、熱力学第一法則とも呼ばれる最も基本の法則を意味する。
2) 質の高いエネルギーは仕事に変換、一方低い質のエネルギーは熱に変換される。これはエントロピー増大の法則と呼んだり、熱力学第2法則と呼ばれる。
以上、マクロな世界においては、2つの制約がある事を意味する。
◇ここに幾多の名著として紹介したものは、多くの方に読まれ続けてきた本というより、一つの教えを説いた内容のものと解釈できるものである。
また著者も古い方のものが多く、文章も一時代前のものであるのは何ともし難いものである。
しかし、結局、仕事を進めることとは、人と人との関わりを通じて問題を解釈することに他ならない、と気づけば何のことは無いのである。
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